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8月6日

8月6日、
75年前の1945年の今日、
午前8時15分、広島市に原子爆弾が投下されました。

世界で初めて核兵器が実戦使用されたのです。
この核攻撃で広島市の人口35万人(推定)のうち9~16,6万人の方々が被爆から2~4ヶ月以内に亡くなられました。
アメリカでは、第二次世界大戦が始まる前から核兵器に関する議論が始まっていました。

1939年8月2日のアインシュタイン博士からルーズベルト大統領への書簡がきっかけです。
1942年9月には、「マンハッタン計画」が本格的にスタートしました。
そして1945年に完成、7月25日に原子爆弾の投下命令が出されました。

8月6日の広島市の天気は薄曇りで気温26,7度。
7時9分の空襲警報で市民は防空壕に隠れたものの、31分には、警報解除になり、各々1日の仕事をスタートしていた時間です。

爆心地から500m以内での被爆者は、即死及び即日死の死亡率が90%、500mから1㎞以内での被爆者では、60~70%。
生存者も一週間で約半数、次の一週間で更に25%が亡くなったと言われています。

「極めて悲惨な状況です❗️」
この状況が大本営に伝わったのは、昼過ぎだとされています。
夕刻に昭和天皇に上奏され、報道発表は翌日7日、15時30分。

「敵は広島市攻撃に新型爆弾を使用せるものの、詳細目下調査中なり」でした。

8月9日から10日にかけて原爆投下に関する「リーフレット」が長崎、福岡、大阪、東京に米軍機により投下されました。
内容は「即刻都市より退避せよ 日本国民に告ぐ 等等」でした。

当時軍部はほぼ6日中には、新型爆弾の正体が原爆であると分かっていましたが、箝口令を引きました。

その後、リーフレットを、撒かれ、報道統制を解除し、11日から12日にかけ、特派員が広島に派遣され、被害状況が報道され、国民は初めて「核攻撃」を受けたことを知ることになりました。

原子爆弾は決して許される兵器ではありません❗️

爆心地の地表温度3000~6000℃、
高速中性子が一平方cm当たり1兆2千億個、
キノコ雲(原子雲)16000m、
黒い雨は土壌や河川、建物を放射能で汚染しました。

熱傷、爆風によるガラスや建材が「散弾銃」のようになり、致命傷になっていきます。
放射能症は長期間に亘り体を痛めつけます。

今なお多くの人々の肉体や精神を痛め続けているのです。
もう2度と「核兵器は使わない❗️絶対使ってはいけないのです」❗️
いかなる、方便もありません❗️

世界中の人々が全員「そうだ❗️」と思わなければいけません❗️

地球上から核兵器を廃絶するために‼️

今日も、75年前と同じように暑い日です🙏

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